番犬はケーキを、

覚えているのは、みんなでもう何回目かもわからない乾杯したところまでだった。

うちのチームでは誰の誕生日でも、みんなそれにかこつけて派手に酒を飲むためにか祝いたがりなのは間違いないけれど、中でもブチャラティの誕生日ともなれば各々何より気合いが入っていた。

酒と食べ物を買って回って、真四角で巨大なケーキを買って。私達の手で愛するリーダーを祝わなければならない。
私も両手いっぱいに食べ物を抱えてアジトに戻ったら、他のみんなも酒やら食べ物やらを大量に抱えて集結していた。食べ切れるか不安な量を前にもはや大笑いして、それからみんなで酒を喉に流し込んだ——そこまでは覚えている。

でも今、いつの間にか閉じていたまぶたを持ち上げたら、私は自分が一人きりで、薄暗いリビングのソファに転がされていることに気がついたのだった。

何故? そう思いながら身体を起こしたら、いつの間にか私の身体にのせられていたらしい何かがバサバサと落ちて行った。

一瞬何が起きたのかわからなくて、まぶたをぱちぱち瞬かせる。それから、自分の体に誰かのセーターが、そして部屋に飾られていたはずの花や、ナランチャが持ってきていたはずのおもちゃの王冠、あとクラッカーから飛び出た紙テープとか、いろんなきらきらしたものが雑多に私の体の上に載せられていたらしいと理解する。……結構な量だ、私はこんなもの色々載せられてすやすやと寝てたのか? 重さも感じず?

雑多に身体の上に載せられた色々なものたちの一番下、つまり私の体のすぐ上にはブチャラティの白いジャケットがのっていた。それに気づいて、思わず少し体温が上がる。今自分を包んでいる『他人』の香りが、ブチャラティの香りだと気づいてしまえば。
いつか、彼が使っている香水をかがせてもらったことを思い出す。爽やかで怜悧な印象の香りで、いつも彼がまとっているものと全然違う気がして驚いたのだ。
……いま、彼のジャケット越しに包まれるこの香り。柔らかくどこか甘い、私が良く知るブチャラティの匂いだ。あの怜悧な香りが彼の肌でのみ発することができる香りに包まれているということに気づいてしまうと、胃のあたりがぐらりと揺れる気がした。彼の素肌を包んでいるジャケットに、自分が包まれていた――妄想がどこまでも広がっていってしまいそうで、私は慌てて首を降った。
そしてようやく理解する。おそらくは、パーティーの最中にソファに墜落して眠りこけた私に、最初にブチャラティが服をかけてくれたのだろう。それを見た他のメンバーが、面白がって色々自分の服とか、そこら中のものを適当に乗せていったのだろう。改めて、よくもこれだけ色々載せられても起きなかったものだと自分に感心してしまう。

ブチャラティの優しさが嬉しいな、という気持ちと、このジャケットがあるということは、……いまブチャラティは上が裸になってしまっているのでは? という妙な心配の気持ちが浮かび上がる。

私が眠り込んでいたソファが置かれたリビングにはもうブチャラティもいない。私はゆっくりと体を起こして立ち上がる。ブチャラティのジャケットだけはその場に置いて行く気になれなくて、掴んだままで移動していく。

パーティー自体、始まった時点で日付が変わる少し前の時間だった。だからみんな帰ってしまったのかも? そう思うと、いくら疲れていたからって酔っていたからって、眠りこけてしまっていたことがもったいなく思った。もっとたくさん、みんなでブチャラティをお祝いしたかったのに。

私は部屋の中から見えていた唯一の明かりを目指し、キッチンへと向かった。
そこには――誰かが、テーブルに向かって背中を丸めて立っていた。黒いつややかな髪の切り口を見つめる。

「……ブチャラティ?」

見慣れぬ白いシャツの背中にそっと声をかければ、少し慌てた様子でブチャラティはパッと振り返った。こちらを見つめる彼はもぐもぐと何かを咀嚼していた。まるで子どもみたいな、ぎくっとしたようなブチャラティの表情を見たのは初めてだった。
そして、彼はシャツを着ていた。私のせいでブチャラティがずっと上裸にさせられていたわけではなくて少し安心する。
咀嚼していた何かをごくんと飲み込んでから、少し焦ったように私の名前をブチャラティは呼んだ。
何を食べてそんな顔を? と思っていたけれど、それは私達が用意した巨大なバースデーケーキだった。
パーティでも私達が好き放題食べたあとだから、四角いケーキはいびつな三角形になりかけていたけれど、そこから一人分、どかっとお皿に取って食べている。しかもリゾットでも食べるときみたいな、大きなスプーンで。

「……ナマエ」

もう一度、私の名を呼びながら浮かべてみせた眉を寄せた表情が、少しだけばつの悪そうな顔に見えて、私は思わずふっと笑ってしまう。ブチャラティが、静まりかえった真夜中の部屋でひとりでケーキを食べている。そんな状況が愛おしくないわけなかった。

「そのケーキ……全部ブチャラティのものなんだから、好きなだけ食べていいんだよ」

言われて、ブチャラティは少しだけ肩をすくめて見せる。

「あと……ジャケットありがとう。私が寝ちゃったせいで、ブチャラティを裸にさせちゃったかと思った」
「オレは平気だ……あいつは裸だけどな」

言われて、ブチャラティが視線だけで示した仮眠室の方を、身体を伸ばして覗き込む。
そこには、いつも通り雑に敷かれたマットレスの上で、上裸の大の字になって寝こけるミスタが転がっていた。思わず声が出てしまって、でも起こしてはいけないとあわてて口を押さえる。
ブチャラティは、そんな私の様子を見てニヤっと笑った。

「お前が急に寝落ちたから、風邪でも引かねえようにとジャケットかけてやったんだが……そしたらあいつらみんなおんなじ様なことしたがってな。花やら飾りやら……セーターやら」

セーター、のところでミスタの方に目線をやりながら、ふっ、と息を吐くようにブチャラティは笑ってから囁く。

「みんな後輩として、お前がかわいくて仕方ねえんだろうよ」
「どうだか……面白がってただけでしょ」

全くそれが嫌では無いのだけれど。それに一番に聞きたいのは、みんながどう思ってるかよりも、ブチャラティがどう思ってるか、だ。
でもそんな考えを慌てて振り払うように、関係のないことを呟いてみる。

「えーと……他のみんなは?」
「もう帰ったぞ。寝落ちる前にまともなベッドにたどり着きたいと」
「そっか」

眠るミスタを除いたら、ここには二人きりだと気づいて急に落ち着かなくなってしまう。自分の息の音までうるさい気がしてくる。そわそわしている私の態度を何と勘違いしたのか、ブチャラティはまた少しいたずらっ子みたいな顔で笑って、それから大きくケーキを取ったスプーンを、私の方に差し出してきた。

「お前も食うか?」

そんなつもりはなかったから、大きなスプーンに小山のように乗っているケーキを見て一瞬戸惑う。
ちらりとブチャラティを見上げれば、食べないのか? と顔に書いてあるような、善意しかない優しい笑顔で私を見下ろしていた。

「……」

できる限り大きく口をあけて、彼が差し出したスプーンにかぶりつく。案の定入り切らなくて口の端に思いっきりクリームをつけながら咀嚼する。
もぐもぐしてる顔を見られるのがなんとなくいたたまれなくて、自分の顔の前で、ブチャラティに向かって手のひらを向けて『少し待て』のポーズで斜め下を見つめながら、もぐもぐとケーキを飲み込もうとする。すごく甘い。
おそらくブチャラティからしたら『冷蔵庫に入れられるくらいにケーキを小さくしないと』と思っただけかもしれなくても、この甘いケーキをこっそり一人で食べていたブチャラティを思うと口角が勝手に上がってしまう。

私が飲み込むまでを律儀に待っていたブチャラティが、二口目を差し出してくるのに小さく首を振る。すると彼が、私の顔の方をじーっと見つめていることに気づく。どうした、そう聞く前に、ブチャラティが私の顔に手を伸ばすほうが先だった。
口元を、少しひっぱられるくらいの力で彼の指先が拭っていく。
ブチャラティが私から拭って親指に残ったクリームを彼の舌先がぺろりと舐め取るのから、目が離せなくなっていた。私が硬直している様子を見て、少しだけ眉を持ち上げてブチャラティが囁く。

「……どうした?」
「ううん、なんでも……ケーキありがとう」
「元はお前たちが用意してくれたものだろ」

その言葉に曖昧に微笑みながら思う。なんていうか、今の態度で全部――わかった気がした。
寝落ちた私にジャケットをかけるのも、こうして頬についたクリーム取ってくれるのも、ブチャラティの中では当たり前のことなのだ。私がガキで、後輩で、拾ってきた分は面倒をみなくちゃいけないから。兄のような心持ちで、こうしてくれているのだろう。

恋愛感情でドキドキしてるのは私だけで、ブチャラティの与える優しさは全部、庇護するものへと与えられるものなのだと、ブチャラティの優しい目つきを見て理解する。
寝起きだから? 感情がうまくついていかなくて、それだけのこと、ずっとわかってたことを改めて認識させられるで少しだけ目の辺りがじわりと熱を持つ。
もっとたくさんの悲惨を見た、経験した。こんなささやかな恋心を大事に抱えていられるだけで幸福なことだとわかっているのに、いやそれだからこそ、子どもみたいに簡単に悲しくなってしまう。

そしてこの悲しみが、これだからきっと、彼からガキとしか思われてないのだ、という証明みたいでイヤだった。
  
「わ……私、帰ろうかな、私もちょっとでもベッドで寝たいし、それか……あー、寝てるミスタを端によせて、せめてマットレスの上で寝ようかな!」

とにかく、ブチャラティの前から今すぐどかないといけない気がした。そしてこんなめそめそした気持ちでいることも、彼にはバレてはいけない。

「あとあの……ジャケットありがとう」

そういえば握りしめてしまっていた白いジャケットを彼に手渡そうとして、今ブチャラティの手はクリームついちゃってるんだと手渡す代わりにキッチンの椅子の背にかけた。すると彼は、静かに囁いた。

「……ここで寝るのはだめだ」
「なんで……」
「半裸の男がいる隣で寝るってことだからだ」
「半裸の男って言ったって……ミスタじゃん!」
「……それでもだ」

兄っぽさからついに父親にまでなったような言葉、きっと前ならなんだか嬉しくも思ってただろう言葉が、今となっては全部苦しい。ムキになって言い返そうとする前に、ブチャラティは私の方をみないまま、ぽつりと呟いた。

「オレが嫌なんだ」

――そんなことを言われてしまえば、もう何も言い返せなくなってしまう。なんでそんなふうに寂しそうな顔をするのかも、聞けない。

しかもブチャラティは、帰るのだったらと私の部屋まで送って行くと言い張った。たとえ深夜だからってギャングの女をどうこうするヤツがいるとも思わないけれど、大人しくその申し出を受け入れる。

上裸で寝てるミスタに、かけてくれたセーターを返す。軽くいびきをかきながら寝てるミスタの隣で寝たところで何が悪いのかいまいちわからない。でも仮眠室の入口から、ジャケットを着直したブチャラティがじっとこちらを見つめていたから、私は大人しく部屋を出た。

二人で、夜のネアポリスを歩く。少しずつ気温も冬支度をはじめて、夜の空気は海の湿度をはらんで柔らかに冷えていた。

私達の間に言葉はなく、ただ静かに歩いていく。

今日は、いやもう日付的には昨日だけどブチャラティの誕生日で、数時間前はせっかく馬鹿みたいに飲んで食べて騒いで、楽しく過ごしてたのに……私が変なことで悲しくなんかなってるから、今、こんなに妙な空気になってしまっているんだとわかっていた。せっかくの誕生日にこんなことさせてると思うと、申し訳ない気持ちがわきあがって仕方がない。

それから、どうしてブチャラティはみんなと一緒に自分の家に戻らず、こんな遅くまでアジトにいたんだろうなんてふと思ってしまってから、その原因に思い至って目線が足元に落ちていく。

「……ごめんね」
「何がだ?」
「私がブチャラティのジャケット布団代わりにしてたから、帰れなかったよね」

遅くまで残らせておいて、しかも部屋まで送らせている。女王でもこんなふるまいしないんじゃないかってことをやらせている気がする。

「……帰らなかっただけだ」

ブチャラティのことだからきっと仕事でもしてたんだろうと思っていたのに、彼はやけに静かな言い方で、ぽつりと囁いた。

「一人でただ……お前の寝顔を見てた」

思わず、足が止まる。

「……ふざけてる?」
「本気だ……、と言っても、お前は引いたりしねえか?」

その声が、もっと明るかったら『やっぱりふざけてるだろ』って笑って言えたのに。振り返ったブチャラティが、寂しそうに目を細めて笑っているから、そんなこと言えなくなってしまった。
彼がこちらに手を差し出して来ているのがわかる。でも、私が選んだ答えによっては、その差し出した手を引く気もあるのだと言っている。

「引かない……ブチャラティ、なら」
「そうか。そりゃあ良かった」

さっきよりずっと嬉しそうな、明るい響きで言いながらブチャラティは手のひらをするりと寄せてくる。
手の甲同士で触れ合っているだけでも、彼の手のひらの大きさも、骨っぽさも感じられてしまって、喉の奥が詰まる。触れたことはある手、仕事の最中に強く握られてひっぱりあげてくれたこともある手。でも今は、その意味が全部違う――。
触れ合ったところから、小指だけを伸ばしてブチャラティの小指にからめてみる。するとブチャラティの手のひらが、すぐに私の手のひら全体を包んだ。
彼の方を見上げることもできないまま、手を握られたまま、二人で私の部屋に向かっている。数時間前の喧騒はもう遠く、今はただ二人分の足音と、触れた手のひらのやけどしそうな熱だけがある。

「……私の部屋で……何か飲んでいく?」
「お前がいいと言ってくれるなら、もちろん」

ブチャラティは優しい。思い返せば今日一日ですら、ずっと優しさをくれていた。ずっとシンプルな話だったのかもしれない。ただ私が、卑屈だっただけで――。
この熱がどうか、私が願うかたちのものだといい。そう祈るような気持ちで、私は部屋に急ぐように、ブチャラティの腕を引いた。